「知識の学問と知恵の学問は非常に違う。
知識の学問はわれわれの理解力、記憶力、判断力、推理力など、
つまり悟性の働きによって、誰でもひと通りできるものだ。
その意味では機械的な能力である。
しかしそういうものではなく、もっと経験を積み、思索反省を重ねて
、われわれの性命や、人間としての体験からにじみ出てくるもっと
直観的な、人格的な学問を知恵の学問という。
だから知識の学問より、知恵の学問になるほど、生活的、精神的、
人格的になってくる。
それを深めてゆくと、普通では容易に得られない、徳に根ざした、
徳の表れである徳恵という学問になる。
これが聖者の学である。
だから学びは知識を増やすことから、知恵を学ぶところに行かなけれ
ばいけない。
富は家を潤すが、徳は身を潤すようになる。
徳を積むことを心がけると、同じ『大学』に『心広体胖』とあるよう
に、心が広やかになり、体も胖になっていくのだ」
安岡正篤
論語『大学』にある「富潤家徳潤身」について
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