道徳を簡単に説明します。
東洋では宇宙・人生というものを一貫して営んでおり、
これがなければ宇宙・人生は成立しないという最も本質的なものを、
名づけて「道」と言っておる。
人間は自然、即ち天の一部ですから天人であり、
天に基づいているごとく道に基づいているのです。
これに対して西洋では、人間を自然、即ち天と対立させて考える。
人類の文化も、要するに自然を征服し、変革することにほかならない。
だから西洋人は山に登っても、アルプスを征服したとか、
ヒマラヤを征服したとかいう言葉を使います。
しかし、昨今、東洋文化の研究が進み、
人間は大いなる自然の中から生まれた最も進歩した生物であり、
自然と人間は決して対立したものではなくて、一貫したものである、
天人合一であるという考え方がだんだんなされるようになってまいりました。
さて、その天人一体の考え方に立てば、当然、
人が心を持つことは天が心を持つことになる。
名高い宋代の名儒:張横渠(ちょうおうきょ)という人は
これを主張して「天地のために心を立つ」と言っております。
大自然は長い間にわたる創造の後に、遂に人間というものを創り出して、
これに心というものを開いた。
人の心は天地の心であり、
人間からいえば、天地のために心を立てるのです。
西洋流に言うと、神のために心を立てる、
即ち人の心は神の心であるということになります。
実は張横渠のこの語の後に三句続いておりまして、
まず「生民のために命を立つ」。
一般民衆はただわけがわからず運命のままに生きておるのであって、
人間は何がゆえに存在するのか、世の中はいかになりゆくのか、
どうせねばならぬかというようなこと、これが「命」であります。
これはなかなかわからない。
だからその命なるものをよく教え示して、人間とはこのようなものであり、
このようにして、こうならなければならぬと、よく教え導いてやる、これが立命です。
そして「往聖のために絶学を継ぐ」、
即ち偉大なる先駆者、先哲、先賢に学ばなければならない。
そこで初めて「万世のために太平を開く」、
即ち永遠の平和を実現することができる。
この宇宙生成の本質であり、天地人間を貫くところの創造・変化、
いわゆる造化の本質原理である「道」が人間を通じて現われたもの、
それを「徳」と言います。
道と徳を結んだのが「道徳」であります。
徳は人間が営む社会生活を通じて現われるものでありますから、
それはやがて経済、政治、教育などの社会活動=「功」になってまいります。
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