2011年6月3日金曜日

落ち着くとろこを察知しろ

子曰はく、其の以す所を視、其の由る所を観、其の安ずる所を察すれば、
人いずくんぞ隠さんや、人いずくんぞ隠さんや。

人柄を知るには、まず第一にその人の外面に表れた行為の善悪を視る。

次いでその人の動機はなんであるかを注意して観る。

そして、第三に、その人の落ち着くところはどこかを察知すれば、
その人の真の性質がわかる。

この三段階の方法によって人を観察するならば、人は決して善悪の
性質を隠しきれるものではない。

現代語抄訳 論語 岬龍一郎編訳

2011年5月29日日曜日

富潤家徳潤身

「知識の学問と知恵の学問は非常に違う。
知識の学問はわれわれの理解力、記憶力、判断力、推理力など、
つまり悟性の働きによって、誰でもひと通りできるものだ。

その意味では機械的な能力である。

しかしそういうものではなく、もっと経験を積み、思索反省を重ねて
、われわれの性命や、人間としての体験からにじみ出てくるもっと
直観的な、人格的な学問を知恵の学問という。

だから知識の学問より、知恵の学問になるほど、生活的、精神的、
人格的になってくる。

それを深めてゆくと、普通では容易に得られない、徳に根ざした、
徳の表れである徳恵という学問になる。

これが聖者の学である。

だから学びは知識を増やすことから、知恵を学ぶところに行かなけれ
ばいけない。

富は家を潤すが、徳は身を潤すようになる。

徳を積むことを心がけると、同じ『大学』に『心広体胖』とあるよう
に、心が広やかになり、体も胖になっていくのだ」

安岡正篤
論語『大学』にある「富潤家徳潤身」について