2011年8月4日木曜日

生と命~白川静の漢字百話~

あらゆるものは生命の連続の中に生きる。

その連続の過程をどれだけ充たしていくことができるのか、
そこに生きることの意味があるといえよう。

生とは自然的生である。細胞の活動に支えられるものには、
すべて生がある。

それでは、草の生い茂る形で示される。

一つの時期を過ぎて結節点が加えられると、となる。
人の世の横への広がりは姓である。姓とは血縁関係をいう。

自然的生の中では、生きることの意味は問われていない。

その意味を問うものは命にほかならない。

命ははじめとかかれた。
礼冠を著けた人が跪いて、しずかに神の啓示を受けている。

おそらくは聖職者のものであろう。

その啓示は、神がその人を通じて実現を求めるところの、神意であった。

のちに、口(本文ではサイで、のりとを受け取る器の意)をそえるが、
その祈りに対して与えられる神意がである。

生きることの意味は、この命を自覚することによって与えられる。

いわゆる天命である。

『論語』に「命を知らずんば、以て君子たることなきなり」というのはその意である。

当然として与えられたもの、それへの自覚と献身は、その字の形象のうちに
存するものであった。





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