「これから瞑想の行為にとりかかろうと試みる事は、瞑想に入ることではない。
それはいざ、善良たろうと志しても、おのずからなる善性が花開くことがないのと同じである。
素直な心についても、養おうとすればもはやそれは消えてしまう。
瞑想は、ふと窓を開け放てば吹き入る微風のようなものである。
それゆえ、意図的に窓を開けておこうとしたり、招き寄せようと試みれば、決して姿を現すことはない。」
「おおらかな天真らんまんさと無量の広がりは瞑想の開花である。
広がりのないところに天真らんまんさは生まれない。
天真らんまんであることは未熟さとは無縁である。
肉体的には成熟しても、精神が経験の無数の刻印から自由でないかぎりは、
愛とともに訪れる広大な空間は生まれない。
天真らんまんであることを妨げるのは経験の刻印である。
経験が加える絶え間ない圧力から精神を自由にすることこそは瞑想に他ならない。」
J・クリシュナムルティ
クリシュナ・ムルティの瞑想録
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