クライマーはスリルを求めるものでなく、真実を求めるものと見るべきだ。
彼らはアドレナリンや運動のために山に登っているのではなく、自分自身と、自分を取り巻く世界に対する洞察力を得る機会を求めて登っているのだ。
長く、体力を消耗し、神経を使うルートは彼らの人格を試し、完成させるために通らねばならない煉獄の役目をしている。
クライミングとは難しいルートを完成させることだけでなく、自分自身を完成させることでもある。
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「ビヨンドリスク」世界のクライマー17人が語った冒険の思想の一説です。
山登りをはじめた最初の頃は、頭の中のおしゃべり「セルフトーク」が止まらなかったことを覚えています。
ネガティブなものもあれば、ポジティブなものまで様々なセルフトークが浮かんできます。
山は登り始めたら、頂上にむかってひたすら一歩一歩歩いていくことになります。
その過程は、日常でうちたてた目標に向かって少しづつ進んでいくことと同じ、疑似体験をしているように感じています。
山頂に立ったときの達成感、そしていつのまにかセルフトークがネガティブなものからポジティブなものになったときの爽快感は格別のものがありますね。
同じ事はマラソンや、トライアスロンなどでも感じることができるのではないかと思います。
「汝、自身を知れ」ギリシャ、デルポイの神託や、孫子の「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」にもあるように、何事においても、まず自分自身を知ることはとても大切ですね。
以下は、ビヨンドリスクの続きです。
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数あるスポーツや娯楽のひとつというよりも自己認識の道であり、自然と接して成長し再生する手段である。
せいいっぱい生きているときのただならぬ喜びと大きな危険に立ち向かうときのむき出しの恐怖という人間の感情の両極端を短い時間に集中体験し、人間の生命の本質を垣間見るひとつの方法と見ることができる。
逆境にあっても勇気を、プレッシャーを受けながらも優雅さを、腹立たしいような状況のもとでも寛大さと忍耐を要求される。
これらはすべて適度に正気を保ちつつ毎日を送るのに必要な資質である。
ビヨンド・リスク
世界のクライマー17人が語る冒険の思想
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