孫子では、九変にて次のように述べられています。
故に将、九変の利に通ずる者は、兵を用うることを知る。
将、九変の利に通ぜざる者は、地形を知るといえども、
地の利を得ること能わず。
兵を治めて九変の術を知らざる者は、五利を知るといえども、
人の用を得ること能わず。
この故に、智者の慮は必ず利害に雑う。
利に雑えて務めは信なるべきなり。
害に雑えて患いは解くべきなり。
この故に、諸侯を屈するものは害をもってし、
諸侯を役するものは業をもってし、諸侯を趨らすものは利をもってす。
故に用兵の法は、その来たらざるを恃むことなく、われのもって待つあることを恃むなり。
その攻めざるを恃むことなく、わが攻むべからざる所あるを恃むなり。
故に将に五危あり。
必死は殺さるべきなり、
必生は虜にさるべきなり、
忿速は侮らるべきなり、
廉潔は辱めらるべきなり、
愛民は煩さるべきなり。
およそこの五つのものは将の過ちなり、用兵の災いなり。
軍を覆し将を殺すは必ず五危をもってす。
察せざるべからず。
九変とは臨機応変に対応することです。
孫子では、智者は利益の面と損失の面を考慮すると説かれています。
貪欲に利益のみを求めてはいけない場合もある、逆に損失を考慮して
おけば、利益の追求に対して禁欲的になるため、直面した状況に対して、
現実対応が可能である、ということですね。
希望的観測のみで一面を捉えて利益の追求をするのではなく、
総合的な状況判断に基づいて、利益と損失を考慮しながら臨機応変に
対応することが結果に結びつく、という考え方です。
直線的に利益を求めれば、状況からしっぺ返しを食らうことになりかねないと
孫子では警鐘を鳴らしています。
利益には損失の因が含まれており、損失には利益の因が含まれている
という総合的なものの見方、トータル・シンキングができれば目的の達成は
危うくない、ということなのでしょう。
禍福糾える縄の如し、司馬遷も同じようなことを行っています。
「禍によりて福となす 成敗の転ずること 譬れば糾える纆のごとし」
(司馬遷『史記』巻113 南越伝)
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