「心は現在なるを要す。事未(こといま)だ来(きた)らざるに、迎
う可(べ)からず。事已(ことすで)に往けるに、追う可からず。」
「わずかに追いわずかに迎うとも、便(すなわ)ち是れ放心なり。」
言志四録 言志晩録 第175条
これを、中村天風先生が訳すとこうなるそうです。
「さし当たる事柄のみをただ思え、過去はおよばず。未来しられず」
「心は現在を要す。過ぎたるは追うべからず、来たらざるは向かうべ
からず」
つまり、先のことをあれやこれやと心配していてもしょうがありませ
んし、過去に起こったことをあれやこれやと気にしてみても、変えよ
うがありませんね。
今現在には、未来を形にする力が宿っています。
また、過去は変えようがありませんが、とらえ方を変えることで、
過去に対しての印象は如何様にでも変えることはできます。
言志四録の著者は、江戸時代の佐藤一斎(1772~1859)です。
佐藤一斎は、佐久間象山の師にあたる人で、佐久間象山の弟子は、
吉田松陰や勝海舟、坂本龍馬になどになります。
第175条の最後の一文に、
「わずかに追いわずかに向かうとも、便ち是れ放心なり。」
とあります。
放心というのは、読んで字の如く、心が放れている状態です。
現代風に言えば、メンタルのパワーがダウンしている、エネルギーが
乏しい、ということができます。
わずかでも過去を追い、わずかでも未来に向かうことでも、エネルギ
ーが削がれてしまうということなのでしょう。
また、言志耋録の第33条にはこうあります。
得意の事多く、失意の事少なければ其の人知慮を減ず。
不幸と謂(い)う可(べ)し。
得意の事少なく、失意の事多ければ、其の人、知慮を長ず。
幸いと謂う可(べ)し
意訳
常日頃、得意の事が多く、失意の事が少なければ、浅はかで思慮が
減っていく。これは大変不幸なことである。
これに反して、得意の事が少なく、失意の事が多ければ、智慧や
思量が増えて行く。
これは幸いであるというべし。
とあります。
過去の延長で未来を考えるから、過去の失敗が気になり、未来にも
影響を及ぼすのではないでしょうか。
であるならば、今生きることにエネルギーを注ぎ込めば、過去に起こ
ったことは教訓として生き、建設的な未来を作り上げることができる
といえるのではないでしょうか。
心は現在なるを要す、大切にしたい言葉ですね。
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建設的な未来を創造するためにも、過去に囚われから自分を開したり、過去を乗り越えたりすることはとても大切なことです。
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