2011年4月9日土曜日

鹿島神宮

2011年3月11日の東北大震災で、何よりもまず一番最初に驚いたニュースは
鹿島神宮の大鳥居が倒れ、鹿行大橋の中央部分が崩落したというニュースでした。


鹿行大橋の崩落
http://www.youtube.com/watch?v=bsZ8xGsxVfg


なぜだかはわかりませんが、このニュースが最初に気になったニュースだったと
強烈に記憶しています。

鹿島神宮は過去4回訪れていまして、要石というのがあり地震を抑えていると
言われている神社でもあります。
(実際に、ナマズの上に神様が乗っている石像があります。)



このお宮に祀られているのは、「タケミカヅチノカミ」

国譲りの物語で有名な神様です。

葦原中国平定(あしわらなかつくにへいてい)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%A6%E5%8E%9F%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%B9%B3%E5%AE%9A#.E5.A4.A7.E5.9B.BD.E4.B8.BB.E3.81.AE.E5.9B.BD.E8.AD.B2.E3.82.8A

以下Wikipediaより抜粋

建御雷の派遣
天照大御神が八百万の神々に今度はどの神を派遣すべきかと問うと、思金神と八百万の神々は、「稜威雄走神(いつのおはばり)か、その子の建御雷神(たけみかずち)を遣わすべき」と答えた。

天之尾羽張(あめのおはばり)は「建御雷神を遣わすべき」と答えたので、建御雷神に天鳥船神(あめのとりふね)を副えて葦原中国に遣わした。

事代主の服従
建御雷神と天鳥船神は、出雲国伊那佐の小濱に降り至って、十掬剣(とつかのつるぎ)を抜いて逆さまに立て、その切先にあぐらをかいて座り、大国主に「この国は我が御子が治めるべきであると天照大御神は仰せである。そなたの意向はどうか」と訊ねた。

大国主神は、自分が答える前に息子の事代主神に訊ねるようにと言った。事代主神は「承知した」と答えると、船を踏み傾け、逆手を打って青柴垣に化え、その中に隠れてしまった。

建御名方の服従
建御雷神が「事代主神はああ言ったが、他に意見を言う子はいるか」と大国主に訊ねると、大国主はもう一人の息子の建御名方神にも訊くよう言った。そうしている間に建御名方神がやって来て、「ここでひそひそ話をしているのは誰だ。それならば力競べをしようではないか」と言って建御雷神の手を掴んだ。

すると、建御雷神は手をつららに変化させ、さらに剣に変化させた。逆に建御雷神が建御名方神の手を掴むと、葦の若葉を摘むように握りつぶして投げつけたので、建御名方神は逃げ出した。

建御雷神は建御名方神を追いかけ、科野国の州羽の海(諏訪湖)まで追いつめた。建御名方神はもう逃げきれないと思い、「この地から出ないし、大国主神や事代主神が言った通りだ。葦原の国は神子に奉るから殺さないでくれ」と言った。

大国主の国譲り
建御雷神は出雲に戻り、大国主神に再度訊ねた。大国主神は「二人の息子が天津神に従うというのであれば、私も逆らわずにこの国を天津神に差し上げる。

その代わり、私の住む所として、天の御子が住むのと同じくらい大きな宮殿を建ててほしい。

私の百八十神たちは、事代主神に従って天津神に背かないだろう」と言った。出雲国の多藝志(たぎし)の小濱に宮殿を建てて、たくさんの料理を奉った。

建御雷神は葦原中国平定をなし終え、高天原に復命した。

以上



鳥居とは、神社などにおいて神域と人間が住む俗界を区画するもの(結界)であり、神域への入口を示すもの。一種の「門」である。(Wikipedia)

国譲りを成し得た鹿島神宮の鳥居が倒れており福島の原子力発電所が事故を起こして、いままさに脱原発の機運(エネルギー政策に関するパラダイムシフト)が高まっているのは、実に興味深いことです。



国譲りの物語はその後、天孫降臨の物語へと続きます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%AD%AB%E9%99%8D%E8%87%A8

天孫降臨の地といえば、高千穂ですね。高千穂には最近噴火した新燃岳があります。

そして、天孫であるニニギの妻は木花咲耶姫。

富士山頂上に祀られている浅間大社のご祭神です。



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